絶園のテンペスト:城平京

(※四行でもなんでもない)


 先月号で絶園の特別編も完結して、もう咲も終わっているので、ガンガンを買う理由がなくなりました。
 本屋でそれをしみじみと思ったので、改めて、絶園のテンペストの感想。



 終わってみれば結局、スパイラルや十字界と同様。
 「絶対にあらがえない運命」と戦ういつものストーリーだった。
 それでも、十字界でたびたび批判された「赤薔薇SUGEEEストーリーはもういいよ」という意見へのカウンターとして、
・「絶対的な存在は一切描写されない」(木を送った「何か」のことね)
・「そのうえで、その絶対的な存在の手のひらで踊るしかないキャラクターのやるせない気持ちを描く」(愛花のことね)
・「そして、それを否定し、前に向かう力強い終わり方」(スパイラルや十字界は主人公の気持ちはともかくとして、事実だけ見ると死ぬわけだから、作風としては後ろ向きだったと思う)
 など、手は変えていたのかなあ、と思う。



 ただ、ダイラーの魅力である
・「『たったひとつの超常現象』による人間心理の妙」(名探偵に薔薇をの小人地獄とか、鋼鉄番町の番長とかのことね)
・「徹底した議論」(カーニバル編のカノン打開作戦会議編なんかは典型的だよね)
・「『歴史的な認識』が目まぐるしく変化するストーリー構造」(鋼鉄番町、十字界、虚構推理なんかはまさにそのまま)
 この辺りが、絶園のテンペストでは大分薄かった。




 というか、絶園のテンペストは作品自体が、全体的に薄かった。




 まず、物語のフックである「愛花を誰が殺した?」に対する容疑者が、あまりにも少なすぎて、フックとして弱すぎる。
 「フーダニット」(犯人探し)ではなくて「ホワイダニット」(動機探し)が重要なことは、作品を読めばわかるのだけど、それが重要だ、ということに気付いた所で、もうほとんど答えが目の前にあるって構造は歪さを感じた。


 個人的には、「葉風がすでに死んでいる」から始まる魔法世界における議論と解法が、盛り上がりの頂点で、
 それから先の「絶園の魔法使い」云々の話からは、どんどん盛り下がっていった。


 これは城平京が通じて抱える「フーダニット」を描くことの下手さが、露骨に出ていると思う。
 デビュー作の「名探偵に薔薇を」の「フーダニット」も前例があることで、鮎哲賞を逃しているし。
 スパイラル短編小説でも、叙述トリックのせいでばればれだった「殺人ロボの恐怖」とかあるし。(犯人当てだって言わなければよかったのになあ)


 本ミスとった、妄想推理も「ワットダニット」だったしさあ。(まあ、これはここ最近の賞レース上位でよくある、旬のテーマだってのもデカいんだけどね)
 スパイラルもフーダニット辞めて、「ホワイダニット」や「ハウダニット」に特化しだしてから人気が出たしなあ。(ブレチル編になってからは、犯人がブレチルだってハッキリしてたからこそ、逆にほかの謎が際立って面白かった)


 だから、絶園のテンペストは今までの作品群と比較すると、ちょっと楽しめなかった部類に入るなあ。
 悪い作品じゃあ、ないんだけどね。