「オーザック・格好いい・ゴミ箱」

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 もう雪はとうの昔に止んで、桜も散って、でも雨の大群はまだやってこなかった。
「コンビニ行くけど、欲しいものある?」
「ポテチ、堅揚げポテトがいいな」
「了解」
 一度も目をあわさず、用件だけを伝える。この部屋は私のだし、ポテチも彼が買うヤングサンデーの代金も私のお金なのだけど。なぜか申し訳なかった。
「木曜か」
 月曜日ほど残酷でなく、火曜日ほど狡猾でもなく、水曜日ほどやるせなくもなく、金曜日ほど幸せでもない。木曜日だった。彼と暮らし始めたのが水曜日、だけれども、それから一日たったわけでも、六日間時をさかのぼったわけでもない。
 彼が来てからゴミ箱に捨てられるゴミの量は、格段に少なくなった。住んでいる人が増えることで、消費がためらわれることもある。彼がわざわざ夜遅くにコンビニへ出かけるのは、それを申し訳なく思っているからだろうか。それとも、彼自身もそれを消費したいのだろうか。もっとも、実際は二人暮しなのだからゴミの量は増えているのだけれど。燃えるゴミの量は、きっと減っている。
 それを問い詰められるほど気軽な間柄でないことが、少しだけ悔しい。
「あれ? そうえば朝だよな?」
 曜日の人格を批判するのは、いつも朝のはずだ。カーテンを開けると、当然のように明るかった。デジタル時計はどれも点対称の数字を並べているし。テレビの左上にも同じ数字が並んでいた。そう朝だった。
 彼がコンビニに行くのは、いつも木曜の夜だ。ジャンプもサンデーも夜に買う。
「どうしたんだろう、こんな朝から」
 コンビニまでの距離は片道で十五分ほどもある。そうそう、気軽に行く距離じゃない、と思う。
「自転車使ったのかな?」
 そう思い、カギを入れている小箱を開けると、イルカのキーホルダーも、クジラのキーホルダーもあった。おかしいな、彼が普段使っている部屋のカギも置いていっている。彼はカギの管理にはうるさくて、この小箱も彼が来てからわざわざ買ってきた物だ。五分もかからない距離にある自販機に行くときすら、カギを忘れないのに。どうして、彼はクジラのついたカギを忘れていったんだろう。
 私は、何故だか彼がもう帰ってこないことに気づいてしまった。
 朝からコンビニに行くのは、ただの朝からアルコールが欲しかったのかもしれない。
 カギを忘れたのは、ただのド忘れかもしれない。
 それなのに、私は確信を抱いてしまった。彼はもう帰ってこない。
 改めて狭い部屋を見渡す。リモコンのないテレビ。その上に置かれた小箱。彼が来て以来鳴らさなくなった時計。妊娠の危機を脱したゴミ箱。少し離して並べられた二枚の布団。
 他にもこの部屋には、いろいろな物がある。
 私の服。私の本。私のゴミ。
 私たちの小箱、私たちのテレビ、私たちの時計、私たちのゴミ箱、私たちの布団。
 けれども、もう彼の物は、ゴミ一つなかった。
「堅揚げポテトなかったから、オーザックにしたけどよかったか?」
「……帰って、きたんだ」
「な、なんだよ急に」
「もういらない、オーザックは油っぽいもん」
「なんだよ、俺も食べないから捨てちまうぞ」
 私の物でも、彼の物でも、私たちの物でもない物は、どこか格好よかった。