書評を書くのは難しい。久しぶりに自分語り

今、三時間に渡って
関田涙”蜜の森の凍える女神”「社会派のやること 本格のやること」
という文章を書いていました。
なのですが、社会派の定義が曖昧だったこと、そもそも関田涙の作品をコレしか読んでないことからボツに。
三作目がメタミステリのようなのでそこまでは読んでから挑戦してみます。


名探偵の苦悩をテーマに掘り下げていって
はやみねかおるの名探偵の定義が素晴らしいことやら
米澤の名探偵って実は完全無欠の名探偵の名探偵と同じようなものかもしれない、みたいな話をするつもりでした。


いやあ、書評ってのは難しいですね。
ただ本のあらすじを並べて、個人的な感想をつぶやいて、おまけで比較論で上下をつけるだけのお手軽三分クッキングにならないように、精進する必要がありますもんね。


だらよをプレイして以降、厳密には後期クイーン問題における絶対の真実の否定を回避するために、無数の真実を肯定した、というひぐらし論を書いてから
「読者に解釈を委ねる謎」について考えるのが無意味に思えて仕方がない。


今日プレイした車輪の国にしても、だらよにしても、ひぐらしにしても
それこそ、インフィニットの三作目にしろ、麻耶の諸作品にしろ
そんなことどうでもいい、と思えてしまうのだ。


じゃあ、何を考えたらいいかは、僕の文章を読み取ってくれ、としか言いようがないのだけどもね。