かまいたちの夜2を再評価したい「本来ミステリは推理を強要しない」

ANOSシリーズに限らず、かまいたちの夜しかり、それこそポートピアの時代から。
ゲームでミステリを表現しようとすると、プレイヤーに推理を強要してしまう。


小説でのミステリは、本という媒体の都合上、読者に推理を強要することはない。
どれだけ文章を飛ばし飛ばしに読もうと、キャラクタの名前を覚えなくても、結末に誰でもたどり着ける。
何なら、最後のページだけをいきなり読んでもいいし、奇数ページだけ読んでもいい。
けれど、ゲームでミステリを扱おうとすると、推理を強要する作品が多くなる。


そもそも、ミステリはパズルとは違い「謎を解くこと」が主題ではなく
「謎が面白いか」が主題になっている、とボクは思う。


ところが、パズルではなくミステリを扱おうとしているゲームでも、
あたかも「謎を解くこと」が主題になっていて、その過程を評価する人が多くいる。


小説としてのミステリはただ読むだけで結末がわかるのに、
ゲームとしてのミステリはただ読むだけでは駄目で、解く過程を味わえないといけない!
という論調でたびたび批判されるのが「かまいたちの夜2」だと思う。


たしかに、かまいたちの夜2は謎解きの場面にさえ到達すれば、実際に謎を解く必要はなく
どの選択肢を選んでもトリックや犯人がわかる。
ただ、この構成自体は本として出版されているミステリとなんら変わらないのに、どうして批判されているのだろう?



いやまあ、ゲームってそういうもんだからだよね。
ようするに、ノベルゲームは小説である前に、ゲームなんだよね。
JPY。たつきです。


最近、芦辺拓の長編を読んでいます。
芦辺や柄刀辺りは読んでいて凄く落ち着きます。
落ち着きすぎて、たまに眠りそうになっちゃいます。


来週もあまり更新できそうにありません。