最果てのイマレビューという名のEver17レビュー
この世は傲慢に満ちている。
こう見えても物書き志望である。
それも、評論や記事を書くような物書きではなく、自ら創造していくような物書きを目指している。
(評論が創造でない、と一蹴するわけではないけれど、物語には及ばないと思いたい)
最近、所謂新人賞に向けて「評価される」ことを意識した作品作りをしていきたい、と思っている。
つまり、月面基地前ではなくKEYになろうとしているのだ。
ケロQでもminoriでもない、タイプムーンを目指せ。
とは言うものの、やれと言われて出来れば苦労はしないのである、クロウは総受けである。
(少なくともこの表現が評価されないと思うのは、ボクの傲慢である)
こうしてみると、なんとも世界は傲慢に満ちている。
いったい、星空めておの何が偉いのだ、枕流の何が悪い、みつみじゃなくて三宅を見ろよ。
監修なんて立場で読者の目を混乱させて何が楽しい。
奈須作品で一番面白いのは、歌月の最後だと思うけどさあ……
というわけで、友人から長らく進められてしぶしぶプレイを開始した最果てのイマを読み終えた。
何を今更な、内容であるのは先に明示しておく(これをフェアプレイとは呼ばない、と思う)
最果てのイマはバッドエンドなのか、ハッピーエンドなのか、トゥルーエンドなのか。
ここでいう、バッド、ハッピー、トゥルーをまず定義させてもらう。
例えば0080ポケットの中の戦争。
において、コロニーに核が打ち込まれるのはバッド。
次に、バーニィが死ぬのはトゥルー。
最後に、バーニィがあの後蘇生するのがハッピー。
まず、バッドやハッピーとは相対的な物で、マルチエンド作品にしか存在しない。
つまり、0080の結末が「コロニーに核が打ち込まれる」であったならそれはトゥルー(もしくはハッピー)になる。
基本的にマルチエンドでないなら、その結末がそのままトゥルーと見てもいい。
ただ、それでもハッピーのような作品、バッドのような作品、という意味合いでこれから使わせてもらう。
作品の解答はひとつで、それが真実に決まっているのだけれど、どこかハッピーの香りがする、程度の感情論である。
さて、ハッピーとトゥルーの差は
トゥルーで示された回避しがたい悲劇をご都合主義的に乗り越える
ことにある。
雫で瑠璃子さんが「だって長瀬ちゃんだもん」となるのは合理的かつ論理的な展開ではない、ということだ。
(kanonであゆが生き返るのも同じ、と言ってもいいだろう)
では、最果てのイマはどうなんだろう?
トゥルーとハッピーを両立させることは出来ないのだろうか?
物語の構造として、一旦「心残りはあるもテーマ的には解答である」を示したあと
「でもやっぱり幸せな方がいいよね(はあと」とするのが、トゥルーとハッピーの使い分けである。
だけれども、テーマを書ききりつつも(つまりこの場合死による悲劇で読者を泣かせつつも)合理的かつ論理的に幸せな結末を迎える作品もあるのではないだろうか?
Ever17だ。
この作品は、ループという叙述トリックを、ミスリードとして利用した、という点で最果てのイマと似通っている。
(Everの場合は第三視点という形で読者がキャラになっているからこそ、つまりキャラ=読者、なので叙述であると同時に逆叙述でもある。
逆叙述って結局発展しない分野だよなあ)
(叙述をミスリードに使うって、とんでもない技法だよな、ミステリに前例あるっけ?)
さて、そのEverでは叙述トリックによるサプライズだけでなく
その後のタイムパラドックスの論理的解法が魅力です。
(まるでミステリ作品のようだ! Neverの方がミステリ受けしそうだけど)
Everのテーマは何ぞや、という問題は放り投げて(ごめん思いつかなかった! 誰か補足してくれ)
この作品はトゥルー(泣き要素)とハッピーを両立させている。
「おいおいそれは、時間移動というご都合主義的設定のせいじゃないのか?」という声が上がりそうだが
これは、京極のウブメの夏がやってみせたトリックと同じである。
そう作中の序盤に文量を費やして設定を説明すればそれがどんなに破天荒であっても結末のサプライズとして使用してもいいのだ。
(アンフェアか否かは偉い先生に任せるとして)
合理的でなければならないミステリ要素が、テーマやキャラと合致することにより
初めて物語は「トゥルー」と「ハッピー」の両立を迎えるのである。
ミステリ要素とテーマが合致する、いわゆる青春ミステリという路線が伸びていくことにより
ミステリ要素とキャラをも合致する、つまり萌えミステリという駅に辿りついたのではないだろうか。
(なんとなく、米澤が目指してるのはココだと思うのは気のせい?)
……なんとなく、この場所は元長が未キスで通過しているような気がしたので終わる。
後編に続く!
……続かない。
何が書きたいかというと
Everはトゥルーとハッピーを両立したものの
ミステリという回りくどい手法を使わざるを得なかった
だけれども、イマは章二(メインヒロイン)の死亡と、サブヒロインによるハーレムという非常に即物的な方法でトゥルーとハッピーを両立させている。
しかし!
その場所は歌月で奈須が通過した場所だった。
歌月、メルブラにおいて示された「弓塚さつき」の悲劇性により、シキはトゥルーとハッピーをかね添えることが出来たのだ。
結論として、トゥルーとハッピーを両立させたかったら
バカ長い作品作って、プレイヤーの脳をクラクラにさせたあと
適当なサブキャラを殺して、残りのメインキャラでハーレム作って
その後から、サブキャラに適当なテーマ的要素と回想シーンを作れってことです。
この話がどうやって、最初の「世界は傲慢に満ちている」に繋がるかは、よくわかりません。
きっと、ターニの帰還完結記念で、無名世界観熱が上がってるだけで意味はないのだと思います。
まあなんにしろ、さつき萌え、章二萌え、神父萌え、ってことでどうっすか?